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【新宿御苑の歴史探訪】新宿御苑の歴史を辿る~皇室庭園の完成

歴史

新宿御苑は今から75年前の1949年5月21日に国民公園として一般公開されました。御苑の歴史にとって重要な5月は「歴史探訪」をテーマにした連載記事をお届けします。
第1回目の記事はこちら:新宿御苑の歴史を辿る~江戸時代から未来へ
第2回目の記事はこちら:新宿御苑の歴史を辿る~近代農業技術の始まりと発展
第3回目の記事はこちら:新宿御苑の歴史を辿る~福羽逸人

1879年(明治12年)、内藤新宿試験場の業務が三田育種場に移り、新宿の土地は皇室に献納され、宮内省の所管する皇室御料地となりました。この時、名称を「植物御苑」と改めました。
植物御苑が庭園へと改造される1906年(明治39年)までのうち、最初の7年間は、新宿試験場時代の引継ぎと、皇室の台所としての体制整備を行いました。続く14年間は、花卉園芸が急速に発展し、養蚕や林木、動物飼育など様々な試みが進められ、最後の8年間は、庭園への改造計画が練り上げられました。

第4回目は、現代の新宿御苑の庭園様式のルーツである皇室庭園の改造計画と完成についてのお話です。


1898年(明治31年)、後に近代園芸・造園学の祖といわれる福羽逸人が新宿植物御苑の総指揮者となります。当時の日本では、欧米の建築や洋風庭園の様式が風靡されており、新宿御苑も庭園として修築される機運に向かっていました。
1900年、福羽は、パリの万国博覧会へ園芸出品審査員として出張しましたが、この時、ヴェルサイユ園芸学校の造園教授アンリ・マルチネー(Henri Martine、 1867~1936)に、新宿植物御苑を庭園に改造する計画を依頼します。
(↑パリ万博の様子、福羽逸人が出展した菊の大作り@福羽逸人『回顧録』)※画像タップで拡大

1901年(明治34年)に、植物御苑改造計画を宮内大臣に提出し、5ヵ年の改装計画事業が始まりました。
そして1906年に、日比谷公園と並び最も早くヨーロッパの造園様式を取り入れた大庭園「新宿御苑」が完成し、同年5月1日には明治天皇ご臨席のもと、日露戦争の戦勝祝賀会を兼ねた開苑式が開催されました。
この庭園は、国をあげての一大事業であり、前例のない規模の大きさのみならず、庭園様式の特異性においても、日本の造園史上最大の庭園事業であったいえます。
(↑「[東京府史蹟名勝天然記念物調査報告] 第15冊 仰ぐ聖駕のみあと」@国立公文書館デジタルアーカイブ)※画像タップで拡大

マルチネーの庭園完成予想鳥瞰図では、正門を入って正面にルネサンス様式の2階建ての宮殿、その前庭には大噴水が描かれています。
宮殿の後ろ側の主庭は、のびのびとした風景式の様式で、特に奥行きを深めるように見せるためのビスタライン(見通し線)が効果的に設計されています。
苑路は美しい曲線を描き、池は広くゆったりとした輪郭が特徴的です。
(↑マルチネーの鳥観図)

庭園の完成から110年以上がたちますが、ほぼ完成当時と同じ庭園様式が保たれ、現代に受け継がれていることが分かります。
(↑現在の新宿御苑の航空写真)

新宿御苑ミュージアムでは、旧皇室庭園であった新宿御苑の歴史と文化を、映像・音声で分かりやすくご紹介しています。館内ではデジタル史料集のほか、マルチネの鳥観図に描かれた幻の宮殿の想定CGもご覧いただけますので、ぜひご来場ください。
(↑新宿御苑ミュージアム外観)

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