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【1/11】皇居外苑からのぞむ歴史遺構 坂下門

皇居について

 

現在、宮内庁の出入り口として使用されている坂下門。

当時は門前の橋を渡り、枡形門をくぐって場内に入り、左の坂を登ると西の丸御殿がありました。

その西の丸の坂の下にあったことから「坂下門」と名付けられたそうです。

 

多くのお濠が四方を囲まれた矩形(くけい)にできている中

蛤濠は曲線した美しい石垣が積み上げられています。

その蛤濠の南西に位置するのが「坂下門」です。

 

 

この坂下門で幕末、文明2年(1862)にある事件が起きました。

安政7年(1860)に起きた「桜田門の変」で井伊直弼が亡きあと、老中・安藤信正は開国政策を継承。

文明2年(1862)1月、将軍に面会するため多くの大名が江戸城を訪れる日、安藤信正も江戸城へ出発。

坂下門を渡る際に、直訴をするふりをして近づいてきた一人が銃で発泡。

それを合図に浪士に襲撃され背中を負傷してしまいます。

一命をとりとめたものの、「背中を刺されるのは武士の恥とされ」、3ヶ月後に老中を罷免されました。

これが「坂下門外の変」です。

 

 

普段は宮内庁の出入り口となっている為、一般の方が通ることはできませんが

春と秋に行われる「乾通りの一般公開」の際は、坂下門より入場することができます。

 

春はサクラ・秋は紅葉と、季節ごとの景色を楽しむことができます。

 

 

ぜひ時代の痕跡をさがしに訪れてみてはいかがでしょうか。

 

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