江戸時代を色濃く残す和田倉門と和田倉橋
冬の皇居のお濠を賑わせていた渡り鳥たちは少しずつ北へ飛び立って行ってしまったようで、その姿は次第に少なくなってきました。
写真は和田倉橋欄干に整列していたユリカモたち。静かなお濠をのんびりと眺めていました。
今回ご紹介するのは和田倉噴水公園の和田倉門と和田倉橋。
和田倉門は現在、門跡として石垣のみが残されています。江戸時代は「蔵の御門」と呼ばれていた和田倉門は、一般人は通行できず、武士だけが通ることを許されていました。徳川氏が江戸城に入った頃、この辺りを蔵地としたので、この名称をとったそうです。
「和田倉」と呼ぶようになったのは、慶長12年頃からと言われており、名の由来は、海の名称「わた」からきたもの。日比谷の入り江がここに及び、その入江にのぞんで倉がならんでいたので、あわせてこの地を和田倉と呼ぶようになったそうです。
明治天皇が明治元年にはじめてご東幸の際には、呉服橋門から、ここ和田倉門を通って江戸城に入られました。
関東大震災で大破し、渡り櫓は翌年一月の地震で潰れ、橋は腐朽が甚だしかったので、昭和15年の「紀元2600記念事業」で復旧しかけましたが、第二次世界大戦のため中止に。戦後に復興し、現在の形となりました。
門前の「和田倉橋」は皇居東御苑への入り口の一つともなっている平川門の門前に架かる「平川橋」とともに、江戸城木橋の形を復元した、ただ二つの貴重な木橋です。
こちらの橋は全て綿密な部分写真により復元されました。
欄干を飾っている擬宝珠は、腐朽により復旧する以前の箸に用いられていたものを使用しているそう。和田倉橋を渡られる際には、是非ご注目ください。
現在は高層ビルなど近代建築に囲まれている和田倉濠ですが、明治のはじめころまでは、この近辺に蛍が飛び交い、とてものどかな場所であったそうです。
和田倉噴水公園の近代的なモニュメントや大噴水とは対照的に、江戸時代の影を色濃く残す和田倉門と和田倉橋。皇居外苑散策の際には、是非お立ち寄り頂きたいおすすめスポットです。
※皇居外苑・東御苑・北の丸公園を散策される際には、以下のマップを是非ご利用ください!