震災復興希望のシンボル「震災いちょう」
長期連休も明け、本日から学校や仕事という方も多いのではないでしょうか。皇居外苑は本日も国内・海外から多くのお客様にお越し頂き、大変な賑わいとなっています。
(写真:坂下門)
涼しく快適な曇り空の下、皇居外苑楠公レストハウスを出発。本日は松林が広がる皇居前広場を左手に、坂下門、桜田二重櫓を見ながら大手濠方面へ向かいます。
(写真:桜田二重櫓)
皇居ランナーの皆さんに次々と追い抜かされながら、クロマツ林の横をのんびりゆっくり散策。
大手濠と、気象庁前交差点に面した「大手濠緑地」に到着すると、以前ご紹介した和気清麻呂銅像が凛とした立ち姿で出迎えてくれました。
この緑地の隅にある、どっしりとした力強い存在感を醸し出すこちらのいちょうが、今回ご紹介する「震災いちょう」です。樹齢約150年、幹周り3.6mの巨木である震災いちょう。このような名がつけられたのには、理由があります。
大正12年(1923)に発生した関東大震災。一面焼け野原となった東京の都心に、奇跡的に生き残ったのが、このいちょうでした。皇居近くまで猛火迫り、周囲が焼野原になる中、この「震災いちょう」は必死に耐え忍び、黒焦げになりながらも生き延びたといいます。
復興事業に伴う区画整理で切り倒されることが決定した時、当時の中央気象台長の岡田武松氏が復興局長官の清野長太郎に申し入れたところ、長官もその意義を心から理解し、この場所に移植されたという由緒あるこのいちょう。大震災の翌春、「震災いちょう」から新しい芽が吹き出し、新聞で「関東大震災の奇跡」とその生命力の強さが伝えられました。
震災により打ちひしがれたいた人々は、それを知りどれほどの希望を受け取ったことでしょう。「震災に負けてはいけない」という「震災いちょう」の強いメッセージは、確かに人々の勇気となったはずです。その幹に今もなお焼け跡を残すこのいちょうは、今日もこの場所で、人々を癒し、また、災害へ備えることの大切さ、命の尊さを教えてくれているかのようでした。