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東御苑 「松之大廊下跡」のご紹介

皇居について

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 朝から多くの観光客の皆さんで賑わう、皇居外苑楠公レストハウス前の広場。空には雲が広がっていますが、強い日差しがないため散策するには丁度良い気候です。本日は皇居東御苑内に位置する、忠臣蔵で有名な「松之廊下跡」を目指します。

 

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 約2000本のクロマツが整然と立ち並ぶクロマツ林を過ぎ、東御苑の入り口の一つである大手門へ。

 

 

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 苑内に入り約10分ほどで、江戸幕府政治の中枢を担った、「本丸跡」に到着しました。現在は写真のように、広々とした芝生が広がっています。奥に残る石垣が旧江戸城天守台跡です。

 

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そんな本丸の西側に、松之廊下は位置しています。案内表示版が指す、矢印の方向へ・・・

 

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こちらが、現在の松之廊下跡。元禄14年(1701)の3月14日、この場所で、播摩赤穂藩主(はりまあこうはんしゅ)・浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が、高家旗本・吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)に切りかかる刃傷事件が起こりました。

 

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 松之大廊下は、本丸御殿の大広間から将軍との対面所である白書院にわたる全長50m、幅4mほどの畳式廊下で、本丸では二番目に長い廊下でした。襖に松並木の絵が描かれていたことからこの名が付けられたそうです。

 内匠頭がこの場所で吉良に切りかかった理由は諸説あります。①内匠頭は痞え(つかえ)という心の病を抱えていたことから生来の短気な性格が影響して、些細な注意にも過剰に反応した ②綱吉の母である桂松陰の従一位叙任を阻止しようとした御台所・鷹司信子の陰謀説ーーなど、その他様々ありますが、記録が残っていない為、真意は不明です。

 

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 現在は石碑と説明版が立っているのみ。周囲は木々に囲まれた静かな場所なので、散策の途中でゆっくり休憩されたい方にぴったりです。近くのベンチに座って、当時江戸を騒がせた大事件を想像してみてはいかがでしょうか。

 

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