銅像
(北の丸公園)

北白川宮能久親王銅像

北白川宮能久親王は、1847年(弘化4年)伏見宮邦家親王第九皇子として誕生しました。

1895年(明治28年)には近衛師団長に親補し、近衛師団を率いて台湾に出征しましたが、疫病にかかり、台南にて49歳の若さで薨去しました。銅像は新海竹太郎により1903年(明治36年)に原型製作されました。

北白川宮能久親王銅像

吉田茂銅像

北の丸公園中央通りから清水門に抜ける芝生地の一角に吉田茂像はあります。外務次官や駐英大使など要職を歴任。
戦後は日本の復興と世界外交復帰に尽力し、日本の政治・外交を牽引しました。銅像は、船越保武により1981年(昭和56年)に原型製作されました。

吉田茂銅像

大山巌銅像

1842年(天保13年)に薩摩藩士の次男として生まれ、薩英戦争では、西欧の近代的な軍備に触発され、砲術家・江川太郎左衛門に師事。日本陸軍に入隊後は西南戦争や続く士族反乱の鎮圧に尽力。日清戦争では第二軍司令官、日露戦争では満州軍総司令官として、日本の勝利に貢献しました。銅像は新海竹太郎により1918年(大正7年)に原型製作されました。

大山厳銅像

品川弥次郎銅像

1843年(天保14年)長州藩萩に生まれ、吉田松陰の松下村塾で学んだのち、薩長同盟成立や戊辰戦争で活躍しました。明治政府成立後は、内務大臣などを歴任し、政界引退後も学校や信用組合の設立などに関わりました。(本山白雲により1907年完成)

大山厳銅像
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