歴史にふれる
歴史遺構(皇居外苑)
江戸時代以前、この辺りは漁業が盛んな日比谷入江に面していましたが、江戸時代には埋め立てられ、老中や若年寄りなどの屋敷が立ち並び「西の丸下」と呼ばれるようになりました。明治時代には、これらの屋敷が官庁の庁舎や兵舎などに使用されたりもしましたが、やがて撤去され広場化されました。その後、明治21年に至り、「皇居御造営」完成後の事業として、皇居前広場のクロマツなど植栽整備も行われています。戦後、国民公園として整備され、現在に至っています。
歴史遺構(皇居外苑)をみる銅像(皇居外苑)
皇居外苑内には、松原つづく外苑の一角に建武中興の忠臣・楠木正成公(楠公)の銅像や、文官の代表として建立された和気清麻呂の銅像など皇居に関係性のある賢人の銅像が多く設置されています。
銅像(皇居外苑)をみる歴史遺構(北の丸公園)
江戸城の本丸や吹上御苑と接する北側に位置し、三代将軍家光時代には、三男長松(甲府宰相綱重)や春日局、天樹院(千姫)、弟の駿河大納言忠長らの屋敷がありました。その後、1731年(享保15年)に田安家と清水家の屋敷地となり、幕末まで続きました。明治になると近衛兵の兵舎が置かれ、1969年(昭和44年)に昭和天皇の還暦を記念して北の丸公園として整備し、一般に開放され、現在に至っています。
歴史遺構(北の丸公園)をみる