【8/3】皇居周辺の銅像めぐり
皇居周辺にはいくつか銅像が設置されているのをご存じでしょうか?
今回は、見過ごしてしまいがちな銅像(人物)のご紹介です。
楠木正成像(くすのきまさしげ)
皇居外苑の中でも有名な銅像といえばこちらの楠木正成像。
東京の三大銅像の1つにもなっています。
楠木正成は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した日本の武将であり
後醍醐天皇に従い鎌倉幕府打倒に尽力した人物です。
この銅像は1333年に楠木正成が隠岐の島から帰還した後醍醐帝を兵庫出迎えた際の勇姿を象ったものです。
皇居外苑の一角に設置されたのは1900年7月。
高村光雲(たかむら こううん)・山田鬼斎(やまだ きさい)・岡崎雪聲(おかざき せっせい)などにより、10年を費やし制作されました。
1896年に完成し、銅像の制作を依頼した住友家当主である友忠は
すでに死去していたのでその子、住友吉左衛門が遺志をつぎ建設されました。
〇場所 最寄り駅 千代田線 二重橋前駅駅 B6出口 楠公レスハウス近く
和気清麻呂(わけのきよまろ)
大手濠の中ほどに佇む和気清麻呂の像。
和気清麻呂は、奈良時代末期から平安時代初期にかけて活躍した貴族です。
宇佐八幡宮の神託事件で重要な役割を果たし、道鏡の野望を阻止するなど皇室への忠誠心を示しました。
後に平安遷都(794年)に多大な功績を残し、日本の都市建設の礎を築いたことでも広く知られています。
この像は1940年、紀元前2600年記念事業として、楠木正成像と共に文武の忠臣を象徴し、建立されたものです。
都会のビル群の中にあって、皇居の森を眺めながら建っているその姿は、今もこの土地を見守っているかのようです。
〇場所 最寄り駅 竹橋駅 2番出口
北白川宮能久親王銅像(きたしらかわのみやよしひさしんのう)
北の丸公園内にある東京国立近代美術館分室のそばに、北白川宮能久親王像があります。
能久親王は1847年に伏見宮邦家親王の第九皇子として生まれました。
1884年に陸軍少将、1893年には近衛師団長に任命され、軍を率いて台湾に出征しましたが
疫病にかかり、1895年49歳でその生涯を終えた幕末から明治時代の皇族であり、陸軍軍人です。
この銅像は、1903年1月に北の丸に駐屯していた近衛歩兵第一・第二連隊の正門前に建立され、
1963年に現在の場所に移されました。
製作は、近衛騎兵として能久親王に側近として仕えた斯界の大家、新海竹太郎(しんかいたけたろう)
によるものです。
〇場所 最寄り駅 九段下駅 2番出口 北の丸公園内 東京国立近代美術館分室の近く
吉田茂銅像(よしだしげる)
北の丸公園の清水門に抜ける一角に吉田茂像はあります。
吉田茂は昭和26年から第45・48~51代の内閣総理大臣を務め、
戦後の日本の復興と国際社会への復帰に尽力し、日本の政治・外交を牽引しました。
この銅像は吉田茂の生誕100年を記念して1978年(昭和53年)に寄付が募られ、
その3年後の1981年に彫刻家、船越安武(ふなこしやすたけ)によって設立されました。
〇場所 最寄り駅 九段下駅 2番出口 北の丸公園内花木園
大山巌銅像(おおやまいわお)
1842年に薩摩藩士の次男として生まれ、薩英戦争では西欧の近代的な軍備に触発され、砲術家である江川太郎左衛門に師事しました。
その後、日本陸軍に入隊し、西南戦争や続く士族反乱の鎮圧に尽力しました。
日清戦争では第二軍司令官、日露戦争では満州軍総司令官として、日本の勝利に貢献しました。
この銅像は新海竹太郎によって1918年に原型製作されました。
〇場所 最寄り駅 九段下駅 2番出口 千鳥ヶ淵沿い
品川弥次郎銅像(しながわやじろう)
1843年長州藩萩に生まれ、吉田松陰の松下村塾で学んだのち、薩長同盟成立や戊辰戦争で活躍しました。
政治や経済に注目するようになり、1891年に第一次松方内閣の内務大臣となり
政界引退後も学校や信用組合の設立などに関わりました。
本山白雲(もとやまはくうん)により1907年完成した銅像です。
〇場所 最寄り駅 九段下駅 2番出口 千鳥ヶ淵沿い
意外と知られていない皇居周辺の銅像には、偉人たちの興味深い物語が刻まれています。
それぞれの歴史や背景を調べて、歴史散策を楽しんでみてはいかがでしょうか。
散策の際は、熱中症に十分ご注意いただき、こまめな水分補給と休憩を忘れずにお過ごしください。