坂下門の歴史
今回は坂下門のご紹介です。
文久2年(1862年2月13日)に坂下門で起きた事件をご存じでしょうか?
水戸藩浪士の中心となった6人によって、江戸幕府老中の安藤信正が江戸城の坂下門外で襲撃され背中を負傷。
怪我を負いながらも仕事をしていましが、「背中を負傷するなど武士の恥」と批判され、のちに老中で罷免されてしまいました。
これが「坂下門外の変」です。
江戸時代には西の丸の坂の下にあったことから坂下門と呼ばれるようになり
坂下門は大奥に近く西の丸の通用門として利用されていたそうです。
当時は高麗門と櫓門の枡形からなる門でしたが
明治になり橋や外側の高麗門が撤去され、渡櫓門のみが角度を90度変えて現在の場所に移築されました。
坂下門の右手にあるのが蛤濠です。
蛤濠は曲線の美しい姿をした石垣をみることができます。
現在は宮内庁の出入り口になっているため通常は通ることができませんが
「一般参賀」や「乾通り一般公開」など特別な日のみ通行が可能です。
実際に起きた事件に関わる歴史遺構を巡れるのも、皇居散策の楽しみ方の1つかもしれません。
散策の際はこちら『皇居•皇居外苑散策アプリ』を是非ご利用ください!
→https://fng.or.jp/koukyo/2020/11/07/kokyo-kokyogaien-app/