皇居外苑•北の丸公園でみられる銅像のご紹介
(写真:楠木正成像 馬のしっぽ部分に巣を作っているスズメ)
皇居周辺にはいつくか銅像が設置されていますがご存じでしょうか?
今回は、散策の際に見過ごしてしまいがちだけれど、是非ご覧いただきたい銅像(人物)のご紹介です。
楠木正成(くすのきまさしげ)
皇居外苑の騎馬像といえば、楠木正成像です。
南北朝時代の武将で、後醍醐天皇に従い鎌倉幕府打倒に活躍したとされています。
皇居外苑の一角に設置されたのは1900年7月。
高村光雲(たかむら こううん)・山田鬼斎(やまだ きさい)・岡崎雪聲(おかざき せっせい)などにより、10年を費やし制作しました。
完成は1896年(明治29年)。銅像の制作を依頼した住友家当主、友忠はその時すでに死去していたので、その子、住友吉左衛門が遺志をつぎ建設しました。
楠木正成像は、東京三大銅像の1つでもある貴重な銅像です。
馬に乗っている姿は躍動感に溢れ、美しい曲線美をみることができます。
〇場所 最寄り駅 千代田線 橋前駅 B6出口 楠公レスハウス近く
和気清麻呂(わけのきよまろ)
この像は1940年(昭和15年)、紀元前2600年記念事業として、楠木正成像と共に文武の忠臣を象徴し、建立されたものです。
和気清麻呂は約1200年前の人物。奈良朝期末の延臣、地方の豪族出身で藤原仲麻呂の乱で765年(天平神護一年)右兵衛尉となり、姉の『広虫』とともに信任を得ました。
当時の京都は盆地で水害が発生しやすい環境でしたが、人々が安心して住める土地へと改良したそうです。
都会のビル群の中に皇居の森を眺めながら建っている姿は今もこの土地を見守っているかのようです。
〇場所 最寄り駅 竹橋駅 2番出口
北白川宮能久親王(きたしらかわのみやよしひさしんのう)
幕末から明治時代の皇族で陸軍軍人。
1847年(弘化4年)に伏見宮国家深奥の第九皇子として生まれました。
1870年(明治3年)には還俗(げんぞく)して伏見宮に復帰し、軍籍につき、その後ドイツへ留学を命じられ軍学を学びました。
1844年(天保14年)には陸軍少将、1893(明治26年)年には近衛師団長になり軍を率いて台湾に出征。
その地で疫病にかかり1895年(明治28年)、49歳で生涯を終えました。
この銅像は1903年(明治36年)1月に北の丸に駐屯していた近衛歩兵第一・第二連隊正門前に建立され1963年(昭和38年)に現在の場所に移されました。
製作は近衛騎兵として側近に仕えた斯界の大家新海竹太郎(しんかいたけたろう)です。
〇場所 最寄り駅 九段下駅 2番出口 北の丸公園内、旧近衛師団司令部庁舎近く
吉田茂(よしだしげる)
昭和26(1951)年の第45・48~51代、内閣総理大臣。
サンフランシスコ条約に首席全委員として出席し、講和条約・日米安全保障条約を調印。
日本の早期独立、経済復興への道筋を築いたといえます。
こちらの銅像は吉田茂生誕100年を記念して1978年(昭和53年)に寄付が募られ
その3年後の1981年(昭和56年)に彫刻家、船越安武(ふなこしやすたけ)によって設立されました。
〇場所 最寄り駅 九段下駅 2番出口 北の丸公園内花木園
大山厳(おおやまいわお)
1842年(天保13年)に薩摩藩士の次男として生まれ藩英戦争では西欧の近代的な軍備に触発され、
砲術家・江川太郎左衛門に師事。
日本軍陸に入隊後は西南戦争や続く士族反乱の鎮圧に尽力したといわれ
日清戦争では第二軍司令官、日露戦争では満州軍総司令官として日本の勝利に貢献しました。
銅像は新海武太郎(しんかいたけたろう)により1918年(大正7年)に建立されました。
〇場所 最寄り駅 九段下駅 2番出口 千鳥ヶ淵沿い
品川弥次郎(しながわやじろう)
1843年(天保14年)長州藩荻に生まれ、吉田松陰の松下村塾で学んだのち長州藩士として活躍しました。薩長同盟成立や戌辰戦争で活躍しました。
維新後は1870年(明治3年)戦争示唆の命令で欧州に派遣され、留学を希望してロンドンに留まりました。
次第に政治や経済に注目するようになり、1891年(明治24年)に第一次松方内閣の内務大臣となり
政界引退後も学校や信用組合の設立などに関わりました。
本山白雲(もとやまはくうん)により1907年完成した銅像です。
〇場所 最寄り駅 九段下駅 2番出口 千鳥ヶ淵沿い
銅像といっても色や形、制作方法など、作者の様々な思いが詰まっているのも魅力の1つ。
普段、何気なく目にしている銅像にスポットをあて歴史を知るきっかけを作ってみるのも楽しいかもしれませんね。
皇居周辺を散策する際はぜひチェックしてみてください♪