皇居外苑の一角に建武中興の忠臣「楠木正成銅像」があります
今回は皇居外苑の一角に佇む建武中興の忠臣「楠木正成銅像」についてご紹介します。
皇居二重橋を正面に見据えるこの像は、南北朝時代の武将、楠木正成(くすのきまさしげ)の銅像です。
後醍醐天皇の倒幕の命を受けて拳兵し、北条氏の大軍をやぶり鎌倉幕府討滅につくした武将。
甲冑をまとい馬上で手頭綱を引いて馬を止めんとするこの姿は元弘3年、正成が39歳の頃、隠岐から還幸途次の後醍醐天皇を兵庫の道筋でお迎えした折の勇姿を象ったものです。
彼の人生におけるもっとも晴れがましい時の姿と言えますね。
銅像の設置は、当時の住友家の当主友忠が、自らが経営する別子銅山開坑200年を記念し寄贈しようと考えました。
完成までにおおよそ10年が費やされ残念ながら友忠は完成を見る事なく亡くなり、その意志を継いで献納したのが、記文に名を残す住友吉左衛門です。
制作を依頼されたのは、東京芸術学校(現在の東京藝大)で、当時の木彫科の主任教授であった高村光雲が頭部を担当し、山田鬼斎と石川光明が身体•甲冑部分を、後藤貞行が馬の製作を担当しました。
また、岡崎雪声が海外から持ち帰った技術、部分ごとに鋳造して組み合わせて完成させる「分解鋳造」で造られた日本で初めての銅像です。
よく見ると、右前脚の胴体と接している部分に組み合わせている隙間のような箇所があるのがわかりますか?
花崗岩(かこうがん)で造られた台座が4メートル、銅像の高さも4メートル。重量は6.7トンの巨大な像の完成に約10年の歳月をかけて完成し、据付が完了したのは明治33年(1900)。現在も当時と同じ場所に位置しています。
大気中で徐々に酸化され表面で炭酸塩を生じながら現在の緑青色になりましたが、完成当時はブロンズ色(青銅色)でした。
色は変わりましたが劣化が少ないようで、これは使用された別子銅山から産出された銅の合金地金が侵食されにくかったためかもしれません。
東京三大銅像とも称されるこの銅像をご覧になりたい方は、地下鉄千代田線二重橋前駅B6口を使い地上に出て、両側をお濠に囲まれる馬場先通りを進み、左手に向かってください。駅から5分程で到着します。
また、楠公像の目の前にある皇居観光の休憩所「楠公レストハウス」内には、楠公像の解説やその他皇居散策のお役立ていただけるチラシや地図を設置しておりますので、是非お立ち寄りください。