秋の皇居東御苑を散策してみませんか?
皇居を取り巻く外苑では、秋の訪れを知らせる虫たちの風情ある鳴き声が聞こえてくるようになりました。
今回訪れるのは昭和43年に開園した皇居東御苑。江戸時代には本丸や二の丸、三の丸など江戸幕府の中枢があった場所です。(写真は皇居東御苑『北はね橋門」より徒歩1分の歩道橋の上から)
北はね橋門から見えるのは、かつて江戸城本丸を守る内堀のひとつで、別名「三日月濠」とも呼ばれる(※形が三日月に似ているため)乾濠。普段はこの角度からしか見ることが出来ませんが、春と秋に開催される通り抜けの際には、乾通りから眺めることができます。
それでは早速園内へ。江戸城天守閣の背後を守る北はね橋門は重要地点にあることから、濠を深くして石垣も最も堅固雄大にしてありました。門は名前の通りはねあげられるようになっており、有事の際には外部へ逃げたり、交通を遮断する役割を備えていました。
北はね橋門を抜けると、目の前に広がるのはかつて江戸城が存在した本丸。
現在は11月14日から15日にかけて行われる大嘗祭の準備で、一部立ち入り禁止となっています。(立ち入り禁止箇所の詳細はについてはこちら)
本丸の脇道を通り、二の丸雑木林を目指しましょう。
右手の建物は皇室関係の貴重な図書等や陵墓を管理している書陵部庁舎です。(書陵部庁舎の詳細についてはこちら)
東御苑では園内各所に様々な植物が植栽されており、一年を通して花の開花を楽しむことができます。
写真は実が色付きはじめたザクロ。9~11月頃にかけて熟します。
東御苑の梅の名所と言われる梅林坂を下って右へ。
もともと梅林坂の名の由来は、太田道灌が江戸平河城を築城した際に、領地である川越の三芳野神社から祭神である菅原道真の分霊を勧請して天満社を創建したのがはじまりとされています。
迫力ある白鳥濠の石垣を右手に、左へ。二の丸雑木林へ到着です。
二の丸雑木林は昭和天皇のご発意により、皇居に武蔵野の面影をもつ樹林として、昭和58(1983)年から3年かけて造成されました。開発されつつあった武蔵野の雑木林から土壌を移したので、土に交じって植物の根や種子、昆虫や土壌動物なども一緒に運びこまれています。
こちらはツルボ。和名の由来は不明ですが、別名を「参内傘(さんだいがさ)」といい、宮中に参内するとき貴婦人が使った女性の柄の長い傘を畳んだ形に見立てたものだということです。
濃い紅色の花弁のようなガクに包まれたブルーの実が美しいこちらはクサギ。葉をちぎったり傷つけたりすると臭い匂いがすることが名前の由来です。
二の丸雑木林を抜けると草木に囲まれた皇居正門石橋旧飾電燈があります。大変凝った造りのこちらの電燈は、1893(明治26)年に点灯されて以来(※根付けされたのは1888(明治21)年)二重橋で90年以上も照らし続けていました。石橋に設置されていた飾電燈6基のうちの1基で非常に貴重なものです。
電気は麹町の東京電燈第一電燈局から供給されていましたが、1986(昭和61)年の設備更新に伴い廃止され、この電燈も引退しました。後に設置された現在の石橋の電燈は、同様の意匠が凝らされたものとなっています。
10月22日の即位の礼や大嘗祭で注目される皇居。都会の真ん中に存在する緑溢れる空間で、特別なひとときを過ごされてはいかがでしょうか?