【ご存知ですか?シリーズ第4弾】~皇居外苑の入り口のひとつ「馬場先通り」の歴史について~
皇居参観へ訪れる方が何気なく通り抜ける「馬場先通り」。丸の内2、3丁目に位置する明治生命館(国の重要文化財)と東京會舘目の前の日比谷通りから皇居前広場まで続く短い通りです。第4弾となる今回の「ご存知ですか?シリーズ」では、皇居外苑の入り口でかつては御門が築かれていた「馬場先通り(馬場先門)」についてご紹介します。
交差点名が「馬場先門」となっている事から“門をくぐると皇居に到着でしょうか?”とお問合せを頂く事がありますが、御門は現存していません。通りの先には二重橋が見え、手前左側のクロマツ広場の先には皇居参観の方が多く利用する休憩所「楠公レストハウス」があります。
また、地下鉄千代田線二重橋前駅をお使いになる方は「B6出口」より地上に降り立った場所、そこが「馬場先通り」です。
寛永6年(1629)4月、幕府が浅野長晟、加藤忠広に命じ築かせた「馬場先門」は当時一般人はもちろんの事、武士の通行さえ許されなかった事から「不開御門(あかずのごもん)」と呼ばれていました。徳川三代将軍家光の治世下を描いた「江戸図屛風」を見ると桝形は描かれていますが、橋が架かっていない事がわかります。
また、馬場先という名は家光が朝鮮人の曲馬を門内で見た事から朝鮮馬場と呼ばれそれがいつのまにか「馬場先」と呼ばれるようになったと言われています。
橋が架けられたのは寛文8年(1668)に起きた明暦の大火後で、その後は譜代大名上屋敷のある西の丸下(現在の皇居外苑)などへ向かう商人たちが使用していたと言われています。
時は流れ・・・日清戦争に勝ち日露戦争に勝利をはくして祝勝堤灯行列が広場にて繰り広げられた明治38年(1904)。多くの国民がこの馬場先門に押し寄せました。桝形形式の特徴である直進で通り抜く事の出来ない構造のために多くの死傷者を出したことから撤去され、馬場先、和田倉、祝田の三道路が開設され今日に至ります。
何気なく通り抜ける馬場先通りですが、江戸や明治の時代のこの場所に思いを馳せながら散策を楽しまれてはいかがですか?
参考文献(資料)
:東京歴史散歩第一集 江戸城とその付近
:大江戸「古地図」大全
:江戸城とその全容と歴史
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