【ご存知ですか?シリーズ第一弾】~田安門の上に慰霊施設が?!~
今回から新たに始まりました【ご存知ですか?シリーズ】。皇居外苑の歴史遺構や自然環境などを深掘りしてご紹介いたします。
第一弾は、『田安門の上に慰霊施設が?!』をお届けします。
国の重要文化財に指定されている「田安門」をくぐり抜けたらすぐ左側に目を向けてください。目線の先には、神社の入り口で見かける狛犬のような石像が佇み、隣りにある石碑には「弥生慰霊堂」と刻まれています。
なぜ、森林公園である北の丸公園内に慰霊堂なるものがあるのでしょうか。江戸時代の名残?それとも明治から昭和にかけて北の丸公園を拠点としていた近衛師団に関係しているのか?など想像を膨らませながら60メートルほどの参道を進みます。
参道の先には石燈籠や拝殿、本殿があり、まさに神社やお寺のようですが・・・よく観察してみると神社の屋根にあるような千木や鰹木などがありません。(画像は手前が拝殿)
明治10年に起きた西南戦争に出征して戦死した警察官は現在の「靖国神社」に祀られましたが、凶悪犯逮捕や災害救助のために命を落とした警察官の追悼施設がなかった為に、明治18年に「弥生神社」は創建されました。当初は、文京区向ヶ丘弥生町に建てられたことからその名が付けられ、その後、芝公園や警視庁庁舎内、青山墓地内、麹町と遷座し、昭和22年に現在の場所に遷座とともに「弥生廟」としました。(画像は本殿)
戦後の「神道指令」により警視庁による神社管理から有志による管理へと代わり、昭和58年に「弥生慰霊堂」と改称し、それと同時に従来の神式から無宗教形式による慰霊祭を現在も行っています。
合祀者は、2517柱で、近代日本警察制度の基礎を築き「日本警察の父」と称される、「川路利良」は特別功労者として祀られており、慰霊祭は川路利良の命日前後で行われています。(画像は手水鉢)
また、弥生慰霊堂の一角には、「昭和天皇御野立所」と刻まれた記念碑があります。御野立所とは、天皇が行幸の際に立ち寄った場所という意味です。大正12年9月1日に起きた関東大震災からの復興の様子を6年後の昭和5年皇居前広場で行われた式典「帝都復興祝賀」の2日前にこの地で視察されました。当時はこの地から東京湾までを一望できたようです。
【説明板】
また、慰霊堂敷地内から西側を見下ろすと重要文化財である「田安門」の桝形形式をじっくりと観察する事が出来て、反対側からは「牛ヶ淵」の様子を撮影する事ができます。ソメイヨシノや7月に咲くハスの花の時期には隠れた撮影スポットになりますね。
様々な時代の歴史や美しい自然に出会える皇居外苑へ訪れた際には、北の丸公園内の一角でひっそりと存在する慰霊堂や御野立所を訪れてみてはいかがですか?
→ご休憩の際は武道館そばの休憩施設『フォレスト北の丸』を是非ご利用ください!