西の丸下郭(皇居前広場)に位置する和田倉噴水公園
特別史跡江戸城跡に隣接し江戸時代には西の丸下郭と呼ばれた現在の「皇居前広場」。今回はその北端に位置する「和田倉噴水公園」の地についてご紹介します。
皇居前広場は、徳川家康が江戸に入城するまで有楽町駅南側から海水が入り込み大きな入江を形成していた事から「日比谷入江」と呼ばれていました。家康は、豊臣秀吉が伏見城を築いたのに倣って現在の皇居宮殿のある「西の丸」区画に隠居城を築城すると同時に「西の丸下郭(現在の皇居前広場)」の埋め立てがはじめられたと言われています。
なんでも、桜田濠から半蔵濠にかけての幅100メートル、深さ20メートルもある桜田濠開削による土砂が、西の丸下郭や有楽町、銀座あたりの埋め立てに使われたそうです。
西の丸下郭には、江戸時代を通して大名屋敷が立ち並んでいました。引っ越しが多く時代により構えていた大名が異なる為に全てをご紹介する事ができませんが・・・嘉永2年~慶応元年の様子が描かれた「江戸切絵図」によると、現在の宮内庁入口である「坂下門」前には、安藤信正の屋敷地、「和田倉噴水公園」には松平肥後守の屋敷地がありました。
「和田倉噴水公園」の「わだ」とは、日本神話の海神「わだつみ」のことで、海岸線だったこの場所に倉が並んでいた事が名前の由来と言われています。現在は、今上天皇ご成婚を記念して建設された、緑と水の都会のオアシス「和田倉噴水公園」として、また夏のクールスポットとして親しまれています。
「和田倉花壇」には夏の花である「ペンタス」が植えられ、園内に色を添えています。
可憐な赤やピンクのペンタスは上品な美しさ。
また、公園入口には清々しい青い花が印象的なアメリカンブルーが植えられています。見ごろは朝8時頃。午後にはしぼんでしまうので、ご覧になる方は朝方をおすすめします。
公園東側の「和田倉無料休憩所」奥にひっそりと残るのは、「和田倉門」の石垣。
門跡から江戸城でよく見られる桝形形式の門だったことがわかりますね。和田倉門の出入りは主に坂下門から西の丸に入城する者、桔梗門から三の丸に入城する者が利用していた事から、旗本達が利用していたようです。(大名クラスは大手門を使用し登城)
そして門外には、現在江戸城の遺構としてただ二つ存在する木橋のうちのひとつ、「和田倉橋」が架かります。(もう一つの橋は平川橋)
日比谷通り沿いには「ヤナギ」が植林されており、江戸時代を感じる風情のある景観です。蒸し暑い日が続いていますので、夜のお散歩でお立ち寄りになってはいかがですか?