旧江戸城外桜田門閉門ガイドツアーが開催されました
皇居の南側に位置する旧江戸城外桜田門(以下:桜田門)は、年に一度文化の日に、大扉の調整を兼ねて門の閉門が行われます。それに伴い、国民公園協会 皇居外苑主催「桜田門閉門ガイドツアー」を開催しました。今回は、そんなガイドツアーイベントの開催レポートをご報告します。
平成27年11月3日(火)の朝9時頃、環境省皇居外苑管理事務所の職員と、国民公園協会皇居外苑の職員によって、大扉の閉門作業がスタートしました。
柵をどかし、扉をハンドリフトで持ち上げて・・・およそ30分かけ、桜田門は一年ぶりに無事閉門が完了されました。
この日のお天気は太陽光がさんさんと降り注ぐ、雲一つない秋晴れ!絶好のガイドツアー日和となりました。ツアーは午前・午後と1時間ずつ、2回に分けて実施され、合わせて約20名のお客様にご参加頂きました。
「昭和36年に国の重要文化財に指定された桜田門は、江戸城の中で最も大きな※枡形門をもつ御門です。徳川家康は、自らの力を見せ付けるために、このように立派な御門を江戸城にいくつも造りました。」・・・そう話すのは、ボランティアガイドの北川さん。
徳川家康が1600年の関ヶ原の戦いで毛利輝元らを破り、1603年に征夷大将軍となってからもその力は絶大で、江戸城は一度も攻められたことはないそうです。ガイドさん達の軽妙な語りとまるで当時を見てきたかのような解説に、聞き入る参加者の皆さん。
閉じられた門の中のでの案内は、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような気分で楽しむことができました。
※枡形門・・・城の入り口の形式のひとつ。曲輪(くるわ)内に入るために、多く外には高麗門(こうらいもん)、内には櫓門(やぐらもん)の二つの門を通るようにしたもの。
写真は閉じられた桜田門(高麗門)。こちらの門は、1657年に約10万人の死者を出した大火事「明暦の大火(振袖火事)」で大破してしまいましたが、6年後には再建。その後の大震災や戦争を耐え抜いて、再建後当時の姿のままで残っているそうです。
しっかりと閉じられた門の左下の、小さな扉をくぐり抜けて・・・・
北川さんの解説は続きます。
「この場所は、皆さんご存知、安政7年1860年に「桜田門外の変」が起きた現場です。ここから暗殺された井伊直弼の屋敷はなんと600メートルという近さ。
事件当日は江戸城で桃の節句の儀式が行われる予定だったため、大名行列を作り、駕籠(かご)に乗って屋敷を出発した井伊直弼のもとへ突如現れたのが、直弼の政策に反対だった水戸浪士18人です。それに対し井伊家は60人の家臣がいましたが、わずか30分ほどで主君の首を持っていかれてしまいます。」
数では圧倒的に有利だったはずの井伊家。その敗因は何だったのでしょうか?
「それはずばり、前夜に降った、季節はずれの大雪。井伊家の家臣は刀が濡れないよう袋で包んでいた為、すぐに抜くことができなかったのです。・・・皆さん!いいですか、何事にも、油断大敵ですよ!」
井伊直弼の屋敷のあった方角を見ながら、幕末の歴史の動きに大きな影響を与えたこの事件に、想像をめぐらせました。
桜田門での案内を聞き終えた後、一行は二重橋前に移動。皇居前広場一番の観光名所である二重橋の説明をたっぷりと聞き、「旧江戸城外桜田門閉門ツアー」は好評のうちに幕を閉じました。
(二重橋に関するの紹介記事はこちら → https://fng.or.jp/koukyo/news_img/2015/10/post-68.html )
皇居内最大の規模を誇る水空間、桜田濠の一角に佇む桜田門。新時代への流れを加速させた歴史的な事件の現場でもあり、江戸時代からの貴重な遺構でもあるこの門は、「歴史の証人」として一体何を見てきたのでしょうか。
皇居を散策される際は、是非この重厚感溢れる桜田門を訪れ、様々な想像をめぐらせてみて下さいね。
※国民公園協会 皇居外苑では、1,2,7,8,12月を除く,毎月第4木曜日に皇居外苑・東御苑のガイド付き散策を実施しております。詳しくは、こちらのチラシをご覧ください → ボランティアガイドチラシ