北白川宮能久親王銅像のご紹介
本日は、北の丸公園の南側、近代美術館工芸館横に佇む、北白川宮能久親王(きたしらかわのみやよしひさしんのう)銅像をご紹介します。
北白川宮能久親王は幕末・明治の皇族で、陸軍軍人です。
1847年(弘化4年)伏見宮国家親王の第九皇子として御生まれになり、1858年、上野寛永寺の門跡(皇族・貴族が勤める特定の寺社や、その住職)となられます。
1870年には還俗(げんぞく)して伏見宮にご復帰され、軍籍につかれ、その後ドイツへ留学を命じられて兵学を学ばれた後、
1884年には陸軍少将、1893年には近衛師団長になられ、軍を率いて台湾に御出征されました。しかしその地で疫病にかかり、1895年、49歳でその生涯を終えられました。
この銅像は1903年1月には、北の丸に駐屯していた近衛歩兵第一・第二連隊正門前に建立されていましたが、1963年北の丸公園整備計画に従って、現在の位置に移されました。
制作は、渡台時に近衛騎兵として側近に仕えた、斯界の大家新海竹太郎。今にも馬が駆け出しそうな躍動感、生命力に溢れるこの像は、芸術的にも高く評価されています。
緑溢れる北の丸公園の一角に、静かに佇む北白川宮能久親王銅像。散策の際には、是非お立ち寄りください。