寒さ厳しい日が続いていますが、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。
今回の自分・自然歩きマップは旧江戸城の最上位に当たる正門として使われ、現在は皇居東御苑の入り口である「大手門」をご紹介します。所要時間は東京駅からゆっくり歩いて30分程度です。
散策のスタート地点は、首都東京の玄関口である「東京駅」中央口です。出口目の前に広がる丸の内駅前広場は、「格調と賑わいある新たな都市景観」としてリニューアルする為に大規模な整備工事中です。どのような広場になるのか今から楽しみですね。
中央口を出たら左(東京駅南口方面)に進みましょう。右手奥に位置する白い建物は2013年にオープンした商業施設「KITTE(キッテ)」です。
南口手前にある東京ステーションホテルまで行き、右に曲がり・・・
まっすぐ進みましょう。
突き当り正面の横断歩道を渡ったら、そのまま右手の横断歩道も渡ります。すると左手に現れるのは、幅員74mにもなる大通り「行幸通り」。
(写真左手の建物は「丸の内ビル」)
紅葉の名所になっている行幸通り(正式名:東京都道404号皇居前東京停車場線)は、皇室行事と外国大使の信任状捧呈式の馬車列が、東京駅から皇居に向かう時に使われる道です。また、ヒートアイランド対策も担っており、海からの風が皇居の緑で冷やされた空気に向かって吹き抜ける風の道にもなっています。
行幸通りをそのまま突き当りまで直進すると皇居前広場に到着です。
今回の目的地大手門へは、東京駅を背に、行幸通りをまっすぐ進み右手に位置する一つ目の横断歩道を渡ります。(奥に見えるのは日比谷通り)
日比谷通りを渡ると「和田倉橋」が見えてきます。旧江戸城の中でも木橋として残るのは「平川橋」と、この「和田倉橋」だけになりますので是非渡っていただきたいです。
木橋を渡ると元和6年(1620)に改築された「和田倉門」の桝形や渡櫓を支えていた石垣が残っています。
・・・桝形を抜け、「和田倉噴水公園」内へ。
この和田倉噴水公園は、昭和33年に今上天皇の御成婚を記念して創建され、都会のオアシスとして人々に親しまれています。また、公園内には無料休憩所があり、暖かい日にはテラス席にてのんびりお過ごしいただけます。日差し除けのパラソルも用意していますので、お気軽にお立ち寄りください。
無料休憩施設を背に、正面に見える「桜田巽櫓」を目指して進みましょう。
目の前の道路が内堀通りです。画像には映っていませんが、左手に位置する信号を渡ります。
横断歩道を渡り左手に広がるのは、現存する遺構の「桜田巽櫓」「桔梗門」、そして「富士見櫓」を同時に写すことの出来る撮影スポット。
桔梗濠を左手に見ながら、内堀通りを北へ5分ほど歩くと・・・
今回の目的地である「大手門」が姿を現します。
『大手』とは、城と城下町をつなぐ門につけられた名称で、「大手門」は徳川時代を通じての表門として使用されていました。慶長12年(1607)に築城の名手である藤堂高虎が建造し、その後、伊達政宗らが修復しました。
名誉ある大手門を任されたとは言え、この大工事に要した費用は金2千6百76枚、人員42万3千人余りと膨大だった為に、富豪を誇っていた伊達家にとっても大変な痛手となったと言われています。
当時は、城内に入る橋の前に「下馬所」があり(大手門前は大下馬)大名以外の従者たちは馬や駕籠から降りて歩いて登城しました。先ほど通った「和田倉門」前も多くの大名が登城する毎月1日、15日、28日には臨時の下馬所として使用されていたようです。
現在も大手門は高麗門(一ノ門)、桝形広場、渡櫓門(二ノ門)の形態のまま残っているので(渡櫓門は関東大震災後に再建)、堅固に造られている構造をじっくりと観察することができます。渡櫓の石垣が東側に出っ張っているのがわかります。この出っ張りは大手橋への横矢で橋を渡る敵兵を確実に射落とす為。また、土塀と石垣天端の中間に「石狭間」が切られている(開いている)のがわかります。
石狭間は兵士が寝る態勢で銃眼より縄銃を発射させる仕組みです。手前に雁木(がんぎ)という石段があり守護兵が自由に昇り降りできる構造になっています。(画像は桝形広場から石垣の南側を撮影)
高麗門(一ノ門)を通ると目の前が行き止まりになっています。これも戦略的な事を考えられた桝形形式の特徴です。この渡櫓門(二ノ門)は右側に位置しています。切込接の美しい石垣が正門としての威厳を醸し出していますね。
将軍や幕府の権威を示すために厳重に造られた江戸城ですが、この場所で戦が行われることはなく、江戸時代の終焉を迎えました。
現在は自由に訪れることのできる庭園となった東御苑の入り口で私たちを迎える旧江戸城の表門「大手門」は、皇居を訪れた際は是非お立ち寄り頂きたい観光スポットです。自分歩きマップを参考に、江戸城歴史散歩をお楽しみください!
2017年1月31日 18:00