新宿御苑の大温室では、毎年11月に「新宿御苑洋らん展」を開催しており、昭和58年(1983)のスタートから今年度で30回目となります。
洋らん展にあわせて、レストランゆりのきの展示室にて「明治150年企画『温室の歴史からふりかえる明治のおもてなし展』」を開催しています。
洋ランとは花を鑑賞する目的で栽培されるラン科植物の園芸上の呼称で、カトレアやシンビジウムをはじめ多くの種類があります。ラン科植物は日本のほか、東南アジア、中南米、アフリカなど熱帯から亜熱帯にかけて広く分布し、18世紀に欧州のプラントハンターにより収集が行われ、主にヨーロッパで盛んに品種改良され、さまざまな交配品種が作出されました。
(写真:福羽逸人『回顧録』)
内務省所管の農業試験場であった新宿御苑では、明治8年(1875)に温室が建てられ、植物の栽培が進められてきました。明治12年(1879)には宮内庁所管となり、温室内で栽培したメロンやイチゴなどの果物や西洋野菜を宮中晩餐会で供し、洋ラン等の温室植物で宮廷を装飾するなど、国内外の賓客をもてなしました。
本展時では日本における園芸発祥の地である新宿御苑の温室の歴史と、国内の園芸文化の発展に貢献した人々の功績をご紹介します。
明治5年(1872)、大蔵省が内藤家の屋敷地跡に「内藤新宿試験場」を開設しました。新しい国づくりのためには農業の近代化が重要であると、大蔵大臣の大久保利通がリーダーとなり、外国産の野菜や果物、樹木、花卉の収集・栽培や、養蚕、牧畜などの近代農業の研究を幅広く行いました。
リンゴやブドウ、オリーブなどの外国産果樹は日本ではじめて新宿御苑で栽培されたといわれています。
(写真:新宿御苑ゆかりの野菜や果物)
その後、明治25年に日本初となる加温式の西洋風温室が建てられ、本格的にラン科植物の栽培を開始しました。この頃から近代的な促成栽培が進められ、メロンやイチジク、ネクタリンなどの果物や、トマトやキュウリ、アスパラガスやレタスなどの西洋野菜が作られました。
新宿御苑の発展に欠くことのできない人物が福羽逸人(ふくばはやと)です。
福羽は安政3年(1856)に石見国(現在の島根県津和野)に生まれ、明治5年に16才の時に国学者・福羽美静(ふくばよししず)の養子となり、上京しました。明治10年に内藤新宿試験場の実習生となり、明治31年に新宿植物御苑掛長に就任し、明治39年に皇室庭園「新宿御苑」を完成させました。
福羽は日本の近代農業や園芸において数多くの功績を残しており、御苑で手がけた事業のひとつに無加温室での温室ブドウの栽培があり、これは国内初の試みでした。

(写真:福羽逸人)
福羽逸人は大隈重信とも園芸を通じた交流を行っていたことはご存知でしょうか?
大隈重信は私邸に温室を建てるほどの大変な園芸愛好家で、福羽逸人にも指導を受けていました。福羽は自著『回顧録』において、自身の指導のもと洋ラン栽培に勤しんだ著名な人物として一番始めに大隈重信の名を挙げています。
大隈邸の温室は明治31年(1898)に落成しました。コンサバトリー(サンルーム、装飾温室)とホットハウス(栽培温室)を設け、賓客を招き、花を愛でながら食事や語らいを楽しんでいました。
大隈邸の温室は大変な評判を呼び、完成から1ケ月後の明治31年12月には大正天皇(当時は皇太子殿下)が行啓する誉れを得ました。その後も多くの来客が訪れており、ラン科植物を中心にさまざまな種類の植物が栽培されました。
当時、新宿御苑に勤務していた福羽逸人と大隈重信は交友が深く、御苑の技術者が大隈邸の温室で洋ランやマスクメロンなどの植物栽培も手がけていたそうです。
現在も新宿御苑は、明治の頃より伝わる菊栽培技術や貴重な温室植物を受け継ぎ、多様な動植物が生育する都会のオアシスとして、国内外より年間約250万人以上もの人々が訪れています。
時代を超えて国内外の多くの人々をもてなし、愛され続けてきた新宿御苑の庭園と豊かな自然は、様々な人々の努力と熱意によって今日にまで受け継がれています。
展示を通して、当時の人々のおもてなしの心にふれてみてはいかがでしょうか。
みなさまのご来場をお待ちしております。
【明治150年企画『温室の歴史からふりかえる明治のおもてなし展』】
■日時:
2018年11月20日(火)~2019年2月頃
9:00~16:00(閉門は16:30)
■会場:
レストランゆりのき(エコハウス)展示室
2018年11月21日 15:00