ながめてみよう♪新宿御苑のビスタライン

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 サツキがみごろをむかえた園内。ほんの1か月前は満開のツツジに彩られていたツツジ山も、いまではサツキが鮮やかに咲き誇る“サツキ山”となっています。
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 サツキに囲まれ、静かにたたずむ巨樹はアメリカキササゲです。幹が折れ、真っ白になった木肌は、まるで芸術作品のオブジェのようにも見えますね。お客さまからはしばしば「どうしてこんな形なんですか?」という質問をいただきますが、この姿は数十年前の落雷被害を受けてのもの。
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 その後の樹木治療により一命を取りとめ、現在はひこばえが花をつけるまでに生育しています。毎年6月が開花期ですが、今年は連日の好天の影響か、早くも花が咲きはじめました。
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 ところで、ここ桜園地からツツジ山をのぞむ一帯ですが、まるで展望台のように丸く空間が開けていることにはお気付きでしょうか?じつはここには、新宿御苑の庭園の歴史にまつわる、とっておきの秘密があります。
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 こちらはさきほどの見晴らし台からの眺め。手前からツツジ山、中の池、そしてその向こうにイギリス風景式庭園までをまっすぐ見通すことができますね。これはビスタライン(見通し線)といって、庭園の奥行きをより深めるように見せる工夫です。現在は樹木が大きく育ってしまっているものの、庭園が完成した当時は、ここからフランス式整形庭園付近まで望むことができたと考えられています。
 
 明治33年(1900)のパリの万国博覧会にて、新宿御苑の総指揮者だった福羽逸人は、ヴェルサイユ園芸学校の造園教授アンリ・マルチネー(Henri Martine、1867~1936)に御苑を庭園に改造する計画を依頼しました。その後、5ヵ年の改装計画事業を経て、明治39年に大庭園が完成しました。
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 マルチネーが描いた庭園完成予想鳥瞰図を見ると、さきほどの丸い展望台(写真左の青い丸)も確認することができました。また庭園全体を見ても、細部はいくつか修正されているものの、当時の設計図とほぼ同じ庭園様式を現在も保っていることが分かりますね。
 当時の鳥瞰図は、昭和20年(1945)の空襲で焼失してしまいましたが、現在インフォメーションセンターにてこの鳥瞰図の複製展示をご覧いただけます。
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 園内でもっとも分かりやすい「ビスタライン」というと、フランス式整形庭園を背に、イギリス風景式庭園を望むこちらの場所。御苑の南東から北西まで一直線に見通すことができます。
 園内散策の際は、ぜひこうした庭園の歴史や景観、デザインにも注目してみてくださいね。

2015年5月28日 14:47

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