お知らせ

新宿御苑の歴史探訪【フクバイチゴの誕生とラン栽培】

歴史

いつも新宿御苑にご来園いただきまして、誠にありがとうございます。
新型コロナウイルス感染症の更なる感染拡大防止のため、緊急事態宣言の発令に伴い、令和3年4月25日(日)より臨時閉園しております。
園内の自然情報の発信については、新宿御苑の庭園風景をインターネットを通してご鑑賞いただきたく、引き続き情報発信を行います。
スタッフ一同、みなさまにご来園いただける日まで、庭園や植物の栽培管理をしっかり行ってまいります。
何卒ご理解とご協力のほどどうぞよろしくお願いいたします。

新宿御苑は今から約150年前の明治5年(1872)に、農作物や園芸植物の栽培試験場である「内藤新宿試験場」が創設されました。そこでは海外から様々な樹木や野菜、果樹などを導入し、栽培研究や技術者育成を行っていました。

明治12年(1879)には宮内省所管の「新宿植物御苑」となり、御料野菜の栽培や宮中行事用の花卉栽培などが行われます。トマトやキュウリ、アスパラガスなどの野菜や、ブドウ、スモモなどの果物が作られていました。

日本初のイチゴ品種が生まれたのが新宿御苑で、生みの親は福羽逸人です。
フランスのゼネラル・シャンジーという品種の苺の種子から品種改良を重ね、国産苺第一号である「福羽苺」を明治35年に作出しました。
当時は皇室献上用で「御苑イチゴ」や「御料イチゴ」とも呼ばれ、門外不出の果物でしたが、大正時代に促成(そくせい)栽培用の高級品種として全国に普及しました。長細い楕円形の大ぶりなイチゴで色・形・味・香りともに優秀な品種として、世界的にも名声を得るほどの有名なイチゴになったそうです。1960年代まで栽培されていました。

現在流通している「とちおとめ」や「あまおう」・「女峰」・「とよのか」など、多くのイチゴが「福羽苺」から品種改良されたものです。

日本で初めて洋ランが栽培されたのは、明治16年(1883)に福羽逸人が私邸に設けた小さな温室だったといわれています。
福羽逸人は「凡そ花卉として其花の艶美秀麗なる、蓋しラン科植物に優越するはなし。」(回顧録/福羽逸人より抜粋)とし、欧米諸国などからラン科の植物のシンビジューム、オンシジュームなどを輸入し、研究や品種改良を行いました。

明治25年(1892)に加温式の洋風温室が建てられると、温室植物の収集と研究が盛んにおこなわれるようになりました。皇室行事で用いられる洋ランなどの花きのほか、メロンやパイナップルなどの果物の近代的な促成栽培も進められました。

その後、大正から昭和のはじめにかけては、特に洋ランの交配に力を入れ、カトレヤ・シンジュクなど、新宿の名を冠したオリジナル品種を多数作出しました。
昭和20年(1945)の第二次世界大戦の空襲により、園内は旧御凉亭と旧洋館御休所を残しほぼ全焼しましたが、わずかに残った洋ランなど貴重な植物は、園内で集めた薪を燃やした熱を使って越冬させることで、なんとか守ることができたと伝えられています。
大温室とバックヤードの栽培棟では、かつて御苑で作出された独自品種や戦前に作出された品種をはじめ、ワシントン条約で国際的な取引が規制されている原種の洋ランの保護栽培に取り組み、現在は約1200種を栽培しています。

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