お知らせ

新宿御苑の歴史探訪【パレスガーデンとしての新宿御苑】

歴史

いつも新宿御苑にご来園いただきまして、誠にありがとうございます。
新型コロナウイルス感染症の更なる感染拡大防止のため、緊急事態宣言の発令に伴い、令和3年4月25日(日)より臨時閉園しております。
園内の自然情報の発信については、新宿御苑の庭園風景をインターネットを通してご鑑賞いただきたく、引き続き情報発信を行います。
スタッフ一同、みなさまにご来園いただける日まで、庭園や植物の栽培管理をしっかり行ってまいります。
何卒ご理解とご協力のほどどうぞよろしくお願いいたします。

現在、国民公園として広く親しまれている新宿御苑ですが、明治39年(1906年)に皇室庭園として誕生しました。国際親善のため観桜会、観菊会などが開催され、日本文化の中心としての役割も果たしてきた時代をご紹介します。

皇室庭園となる前の明治初期は内藤新宿試験場として、新しい国づくりのためには農業の近代化が重要であると、西洋農業技術の研究や、指導者の育成が進められました。明治12年(1879)に新宿御苑の土地が皇室に献納されると「新宿植物御苑」に改称し、皇室御料地として農作物や花卉などの栽培が行われるようになりました。

明治31年、新宿植物御苑の総指揮者となった「福羽逸人」は、国内外からの賓客(ひんきゃく)を招き、日本の文化や自然の魅力を紹介する皇室庭園創設への想いを強くします。明治33年(1900)、パリ万博のためフランスを訪れた際に、ヴェルサイユ園芸学校の造園教授アンリ・マルチネーに新宿御苑を皇室庭園に改造する計画を依頼しました。
その後、明治35年(1902)から5か年にわたる大規模な改修工事を行い、明治39年(1906)に、日本初の皇室庭園「新宿御苑」が完成し、パレスガーデンとして新たに生まれ変わりました。
明治天皇ご臨席のもと日露戦争祝賀会を兼ねた開苑式が行われたそうです。
庭園改造を指揮した福羽は、「工事終了と同時に開苑式を挙行するに至りしは、予の歓喜之に過ぐるものなし」との感慨を漏らすほどであったそうです。

(マルチネー氏の設計図は、昭和20年(1945)の空襲で焼失しましたが、現在の風景式庭園・整形式庭園・日本庭園の原型はほぼ設計図と同じ様式が保たれています。)

大正時代後半には、9ホールのゴルフコースやテニスコートが整備され、皇族の方々が園遊の場として訪れるようになります。明治29年(1896)に創設された「旧洋館御休所」は、クラブハウスとして利用されました。

国際親善を目的とした皇室行事「観桜会」は、明治16年(1879)から大正5年(1916)まで浜離宮を会場としていましたが、大正6(1917)年から新宿御苑へと会場が移され、その後、昭和13年(1938)まで開催されました。
福羽逸人はパレスガーデン誕生前から、桜の品種の収集に力を注ぎ、特に八重桜の一葉(いちよう)と普賢象(ふげんぞう)は観桜会の時に楽しむべき品種としており、多くの八重桜が楽しめる新宿御苑として現在に至っています。

また「観菊会」は、明治11年(1878)より赤坂離宮御苑で催された皇室行事で、新宿御苑では、明治37年より展示用の菊の栽培が始まり、昭和4年(1929)からは新宿御苑に会場を移して行われるようになりました。
現在では、皇室ゆかりの催事として毎年11月1日~15日まで「菊花壇展」として開催されています。
大正から昭和にかけては、アメリカの高官や満州国皇帝など、国際的な訪客も多く、新宿御苑はパレスガーデンとして広く世界に知られ、発展を遂げていきました。

その後、昭和24年(1949)5月21日に国民公園新宿御苑となり、宮内省時代から受け継いだ伝統の菊花を初めて一般公開しました。
現在も新宿御苑の菊花壇は、明治から変わらぬ伝統を継承し、菊の栽培はもとより、上屋や独自の植え込み技法など、ほかでは見ることのできない皇室ゆかりの格式ある様式を今日に伝えています。

新宿御苑
自然情報
twitter
新宿御苑
サービス施設
twitter
PageTop