静岡県農業高校の生徒のみなさんが新宿御苑の歴史と江戸東京野菜の取り組みについて学びました
7月26日(木)、静岡県農業高校 生物工学部の生徒のみなさんが、江戸東京野菜をテーマに校外学習を行いました。江戸東京野菜の内藤とうがらし、内藤かぼちゃ誕生の地である新宿御苑を舞台に、新宿御苑の歴史と、東京における江戸東京野菜の栽培と食育、地域活性化に繋げる取り組みについて学びました。
静岡県農業高校 生物工学部は主にバイオテクノロジー技術を利用した植物の培養を行っています。また、「農業に関する地域貢献」を目標に活動を続けており、平成25年(2013)から静岡市郊外のまちおこし活動として農家の「大沢縁側カフェ」の活動支援や、平成27年からは静岡市駿河区大谷で栽培されている在来作物「かつぶし芋」の保全活動を行っています。
一行はまず大温室に向かい、日本初の国産イチゴである「フクバイチゴ(福羽苺)」の展示を視察しました。
いまから約120年前の明治時代、新宿御苑は宮中の御料農場で、外国産の野菜や果樹、花卉の栽培研究を行う農事試験場でした。
この頃の新宿御苑ではさまざまな西洋野菜や果物が栽培されていました。今では身近な食材であるキャベツやトマト、たまねぎ、レタス、アスパラガス、マッシュルーム、にんにくなどの野菜のほか、イチゴやメロン、オリーブ、リンゴ、ブドウ、ナシ、スモモ、水蜜桃などの果樹が御苑で試験栽培されたのち全国へ広まった歴史があります。
明治31年(1898)、新宿御苑の農学博士であった福羽逸人(ふくばはやと)は、フランスの「ゼネラル・シャンジー」というイチゴ品種から国産イチゴ第一号となる「福羽苺」を作出しました。当時の新宿御苑は皇室の御料地だったことから「御料イチゴ」とも呼ばれていましたが、大正時代に高級品種として全国に栽培が広まってゆきました。
静岡の久能山東照宮とその南に広がる一帯は、特産品「石垣いちご」 の生産地として知られ、多くの農家がイチゴ栽培をしています。栽培農家のひとつ「常吉いちご園」は明治29年(1896)創業の老舗で、当時たった1株のいちごの苗から「石垣いちご」栽培を成功させました。常吉いちご園では現在も福羽苺をはじめ、貴重なイチゴ品種の栽培を行っています。
(写真:福羽苺のジャム※新宿御苑では販売しておりません)
また、新宿御苑では国産紅茶製造が行われた歴史もありますが、この時に活躍したのが静岡県の丸子の地でお茶の栽培を行った多田元吉でした。
多田元吉は明治2年(1869)に徳川慶喜に従い駿河(現在の静岡県)に赴き、静岡市丸子でお茶栽培を行いました。日本での紅茶製造の普及に努めた功績から、日本の緑茶紅茶の祖といわれている人物です。
多田は明治8年(1875)から3年に渡る海外出張で、多岐に渡る紅茶製造の技術を学び、日本に持ち帰りました。明治9年(1876)1月には一旦帰国し、同年4月にチャノキの種子を新宿御苑の地に播種し、秋に製茶試験を行ったと記録されています。
新宿御苑と静岡を結ぶさまざまな歴史的エピソードに、生徒のみなさんも親しみを感じていらっしゃいました。
続いて、レストランゆりのきへ移動し、内藤とうがらしプロジェクト代表の成田重行さんから、東京における江戸東京野菜の歴史と取り組みについてご紹介いただきました。
現代の東京は世界有数の大都市となりましたが、江戸時代の東京は野菜の一大産地でした。そのはじまりは食を通じて人々のくらしと健康を守るためでした。
今からおよそ400年前。徳川家康によって江戸幕府が置かれた江戸の町は、運河による物流の充実とともに人口100万人もの世界有数の大都市へと発展を遂げ、たくさんの食料を必要としました。
江戸の中頃になり、白米中心の食事習慣が広まると、栄養の偏りによる脚気やリュウマチが人々の間で大流行しました。地方に暮らす人々も、参勤交代により江戸で生活すると病にかかることから、江戸患い(えどわずらい)と呼ばれ、江戸の風土病だと考えられていました。
人々の健康を守るため、江戸幕府が積極的に野菜を食べるよう推奨すると、各地の大名は参勤交代にともない、ふるさとの野菜の種と農民を江戸へ連れてきて栽培を行いました。これにより全国各地の野菜の種が江戸に集まり、江戸東京野菜の発展へとつながりました。
「東京の農業の特徴ってなんですか?」「江戸東京野菜や在来作物の魅力って何だと思いますか?」
質疑応答では、農業を学ぶ学生さんならではの鋭い質問をたくさん寄せていただきました。
江戸東京野菜の魅力は、形のおもしろさや市場にはほとんど出回っていないめずらしさはもちろんこと、野菜ひとつひとつに込められた歴史的エピソードにあります。
たとえば、御苑ゆかりの内藤とうがらしは、御苑が高遠藩主・内藤家の下屋敷だった江戸時代に、敷地内で栽培がはじまりました。おそばに添える薬味として人気が高まると、やがては新宿一帯で栽培されるようになり、最盛期にはあたり一面が真っ赤に染まるほど、広く栽培されるようになりました。
その後、昭和以降の農地の減少と、より辛みの強い鷹の爪の登場により、いったんは姿を消してしまいましたが、平成20年(2008)に内藤とうがらしプロジェクトが発足し、復活を果たしました。
2020年の東京オリンピックに向けて、東京の魅力を世界に発信する機運が高まるなか、江戸・東京の歴史や文化を今に伝えるブランド食材のひとつとして注目を集めています。
江戸東京野菜は、こうした地域の歴史とともに生まれた地元ならではの食材です。「食べる」だけでなく、江戸の人々のかつての食文化にふれる「食育」教材としても活用の輪が広がっています。
新宿区の学校では学習の一環として「地元の江戸東京野菜の栽培」の取り組みが行われており、子どもたちは「自分たちで栽培し、種を採る」を目標に、種を通じた命のつながりや、育てた野菜を料理することで自分達の地域の歴史や文化を学んでいることをご紹介しました。
>>2017新宿内藤とうがらしサミット開催について詳しくはこちら
最後に生徒のみなさんに江戸東京野菜を使ったメニューを召し上がっていただきました。
静岡県農業高校の生徒のみなさん、本日はありがとうございました。
新宿御苑では日頃より、新宿御苑内の飲食施設「レストランゆりのき」と「カフェはなのき」で、新宿ゆかりの内藤とうがらしのほか、都内の農家直送の新鮮な江戸東京野菜を使った地産地消メニューの提供や、環境にやさしいエコ・クッキングの取り組みを進めております。
新宿御苑にご来園の際には、ぜひ東京・新宿ならではの味わいをお楽しみください。
【営業案内】
■利用時間/9:00~16:00(ラストオーダー)
■定休日/新宿御苑休園日
カフェはなのき、レストランゆりのきは、とうきょう特産食材使用店へ登録されています。