新宿御苑特別企画「『大饗紀事』よりひもとく大膳頭・福羽逸人と大正天皇即位礼饗宴」を開催
エコハウス展示室(レストランゆりのき内)にて特別企画「『大饗紀事』よりひもとく大膳頭・福羽逸人と大正天皇即位礼饗宴」を開催しております。
明治から大正の時代にかけて新宿御苑の礎を築いた人物・福羽逸人は、大正3年(1914)に大膳頭に任命され、翌年京都の二条城で行われた大正天皇の即位礼「大饗」の指揮監督官となりました。
会場では、福羽逸人が大正4年に記した『大饗紀事』から行事に関する史実を解明するともに、皇室御料地である新宿御苑における宮中とのつながりや、部下であった天皇の料理番・秋山徳蔵のエピソードなどをご紹介します。
新宿御苑は徳川家康の家臣・内藤家の江戸屋敷地をルーツに、明治時代には国営の農事試験場を経て、皇室園地となり、戦後の昭和24年(1949)に国民公園として一般開放された歴史があります。
明治時代の農事試験場から皇室庭園への変遷において活躍したのが福羽逸人でした。福羽は安政3年(1856)に島根県津和野に生まれ、明治10年(1877)に21歳で内藤新宿試験場の実習生となりました。明治31年(1898)に新宿御苑の総責任者となり、明治39年に現在の庭園様式である皇室庭園「新宿御苑」を完成させました。
(写真:『現代庭園図説』、福羽逸人『回顧録』)
宮内庁内苑局長となった福羽逸人は、大正3年(1914)に58才で大膳寮の総指揮監督官である大膳頭(だいぜんがしら)就任を要請されます。
福羽はこれまでにも、新宿御苑において栽培した西洋野菜や果物を宮中晩餐会で用いたり、洋ランなどの花卉で会場を装飾するなどの饗宴を手掛けてきました。また、海外留学や渡航実績、国内外の国家行事への知識や経験が豊富であったことも高く評価され、大正4年に行われる大正天皇の即位礼への大抜擢の人選が行われました。
この抜擢には福羽自身も「予想外の人事であった」という驚きがあり、また「千載一遇の機会」との思いで承諾したと語っています。
(写真:福羽逸人『回顧録』より洋ラン図説)
福羽逸人は報告書『大饗紀事』に、大正天皇即位礼の後に行われる宮中の食事会・大饗について、献立や材料調達、会場設備や室内装飾、スケジュール、職員の心得などを事細かに記録しており、その一部をパネル展示にてご紹介しております。
報告書の序文には「大饗は国家儀式のなかで最も重要なものであることはいうまでもなく、その式典に関与する者もっともは慎重・誠実にこの儀式を遂行しなければならない」と記しており、まさに世界に向けて日本の威信をかけた前例のない一大事業であったことがわかります。
会場奥では、大正から昭和にかけて宮中料理人として活躍した“天皇の料理番”で知られる秋山徳蔵にスポットをあて、秋山の著書『味』や『舌』に記された福羽逸人とのエピソードを書籍とともにご紹介しています。
秋山徳蔵は明治21年(1888)に福井県に生まれ、16才で上京し華族会館の見習いとなりました。明治42年(1909)、21位で西洋料理修行のためフランスに渡り、マジェスティックで2年、カフェ・ド・パリで半年、ホテル・リッツで半年の修行を重ねます。そして大正2年(1913)、25才という若さで宮内省大膳寮主厨長の打診を受け、帰国しました。
福羽逸人も同じく大膳頭に抜擢され、秋山徳蔵の上司として、日本史上最大規模の大正天皇即位礼の饗宴をともに行いました。
内藤新宿試験場の実習生となり、花や野菜、果物の栽培からはじまった福羽逸人と農園芸の関わりは、最終的に宮中晩餐会の料理や空間までもを含めたトータルマネジメントに手腕を発揮するまでになってゆきました。
大正という新しい時代の幕開けは、福羽逸人にとってどんなものだったのか。当時を伝える資料を通して、その想いにふれてみませんか。
ぜひエコハウスにご来場ください。
(写真:新宿御苑で今も栽培している洋ラン)
■新宿御苑特別企画「『大饗紀事』よりひもとく大膳頭・福羽逸人と大正天皇即位礼饗宴」
日時:平成29年11月28日(火)~平成30年2月(予定)
9:00~16:30
会場:エコハウス展示室(レストランゆりのき内)