「はじめての江戸東京野菜講座」を開催しました

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 本日、NPO江戸東京野菜コンシェルジュ協会と国民公園協会新宿御苑の主催により「はじめての江戸東京野菜講座~江戸東京野菜には物語があります~」を開催しました。江戸東京野菜ともかかわりの深い新宿御苑を会場に、江戸東京野菜をめぐるさまざまな動きをお伝えする講座です。
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 本講座開始前に希望者を対象に、国民公園協会の本荘が新宿御苑の四季折々の自然のみどころや歴史をご紹介するガイドツアーを開催しました。
 ジリジリとした日差しの夏日から一転、今日は心地よい涼風が吹き抜ける過ごしやすい一日となりました。バラやサツキ、タイサンボクなどの初夏の花が咲き誇る園内を散策しながら、御苑の庭園のみどころや歴史スポットを巡ります。
(写真:フランス式整形庭園)
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 大木戸門より入園してすぐのところにある「玉藻池」を中心とする日本庭園は、安永元年(1772)に玉川上水の余水を利用して完成した内藤家の庭園『玉川園』の一部で、御苑のルーツといえる場所です。当時、屋敷地内の菜園では、江戸東京野菜の内藤とうがらし、内藤かぼちゃが栽培され、御苑から周辺に広まってゆきました。
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 明治5年(1871)には農作物や植物の栽培研究を行う内藤新宿試験場となりました。その後、宮内庁所管の新宿植物御苑となり、明治39年には日本初の皇室庭園である新宿御苑が誕生しました。
 イギリス風景式庭園にある旧洋館御休所は天皇や皇族の休憩所として明治29年(1896)に創建され、大正時代後半からはクラブハウスとして使用されました。
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 御休所のとなりには平成24年11月にリニューアルオープンした大温室があります。新宿植物御苑時代の温室では、宮中の御料野菜や果物、花きの栽培が行われていました。
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 ユリノキやタイサンボク、プラタナス並木など、園内各所にある外国産の樹木は、多くが明治の農事試験場時代に植えられました。樹齢は120年以上にもなり、堂々とたたずむ姿から新宿御苑が歩んできた長い長い歴史が感じられます。
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 本講座では、NPO江戸東京野菜コンシェルジュ協会会長の大竹道茂氏より「江戸東京野菜には物語がある」をテーマに講演が行われました。
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 江戸東京野菜には、
 ①季節限定で旬があること
 ②自家受粉で種を採ることができる固定種であること
 ③江戸から昭和の各時代に江戸(東京)で暮らす人々の食生活を支え、食文化をはぐくんだ野菜であること
 と、おもに3つの魅力があります。
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 江戸東京野菜は名前のとおり東京で生産されている野菜で、2016年5月現在で42品目が登録されています。
 一番の特徴ともいえるのが、新宿ゆかりの「内藤とうがらし」や「内藤かぼちゃ」をはじめ、江戸川区小松川が発祥の「伝統小松菜」、練馬区下練馬の「練馬大根」など、野菜が生まれ育った地名が付いていることです。
 ひとつひとつの野菜には地域に根差した物語があり、昔の人々の食文化や暮らしぶりを垣間見ることができます。
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 たとえば「伝統小松菜」は、八代将軍の徳川吉宗が鷹狩りで出会ったというエピソードが残っています。
 徳川吉宗が鷹狩りに出かけた際、香取神社(江戸川区中央)に立ち寄った折のこと。吉宗は昼食に出された餅入りのすまし汁に添えられた青菜をたいそう気に入り、宮司に名前をたずねましたが「庭に生える菜です」と名前さえない青菜でした。そこで吉宗は「ここは小松川だから“小松菜”と呼ぶがよい」と自ら名付けたそうです。
 また、このときの「青菜と餅の入った鶏出汁のすまし汁」は「江戸雑煮」の原型にもなったといわれています。
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 練馬生まれの「練馬大根」は、五代将軍の徳川綱吉が“江戸患い(えどわずらい)”と呼ばれる謎の病に倒れたことがきっかけで生まれました。
 病気を患った綱吉は、陰陽師に占いをさせ「西にある“馬”とつく場所で養生せよ」というアドバイスから下練馬で養生をしました。このときに尾張から大根の種を取り寄せて、百姓に栽培させたところ、大根は関東ローム層の土壌、気候風土によく合い、最大1メートルにもなるほどよく育ったそうです。大根はじめ野菜中心の食生活が功を奏し、綱吉の病は2年ほどで完治したそうです。
 
 この徳川綱吉の病から見えてくる“江戸患い”の正体は、ビタミンB1不足による脚気だったとされています。
 江戸幕府が置かれ日本の中心部となった江戸の町は、やがて人口100万人の世界有数の大都市へと発展を遂げ、たくさんの食料を必要としました。江戸の中頃に精米された白米を食べる習慣が広まると、町民は美味しい白米ばかりを食べるようになっていったそうです。すると野菜不足により栄養がかたよってしまい、人々の間で脚気が大流行しました。
 地方に暮らす人々も、参勤交代によって江戸の町で生活をすると江戸患いにかかることから、当時は江戸の風土病と考えられていたそうです。
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 人々の健康を守るため、江戸幕府が積極的に野菜を食べるよう推奨すると、大名は参勤交代の際に、ふるさとの野菜の種と農民を江戸へ連れてきて栽培を行いました。これにより全国各地の野菜の種が東京に集まり、江戸東京野菜の発展へとつながってゆきました。また、評判のよい野菜の種は江戸土産としての人気も高く、タネ屋街道と呼ばれた旧中山道を拠点に、日本各地へと広まってゆきました。
(写真:練馬大根は漬物用の大根として大変な評判となりました)
 
 現代においては大都市・東京で野菜というと意外に感じる方もいらっしゃるかもしれません。しかし江戸時代の東京は野菜の一大産地として発展した歴史があり、そのはじまりは食を通して人々のくらしと健康を守るためだったのです。
 
 その後、高度経済成長期の東京の都市化にともない、農業が「大量生産・大量流通・大量消費」の時代になると、一年中作りやすく、形揃いの良い一代交配種(F1品種)の野菜の野菜が広まり、固定種である江戸東京野菜は姿を消してゆきました。しかし、平成元年(1989)の江戸東京野菜のタネを残す活動のはじまりをきっかけに取り組みが広まり、いくつもの江戸東京野菜が徐々に復活を果たしてゆきました。
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 現在は国内のみならず、2019年のラグビーワールドカップや2020年の東京オリンピック・パラリンピックなど、海外に向けて東京の食文化を発信する機運も高まっており、東京が誇る伝統食材としてのPRが積極的に行われています。
 
 また、江戸東京野菜は地域の歴史とともに生まれた地元ならではの食材であることから、「食べる」だけでなく、食文化にふれる「食育教材」としても注目されています。
 都内各地の小中学校では、学習の一環として「地元の江戸東京野菜の栽培」の取り組みが行われています。テーマは「自分たちで栽培し、種を採る(自家採種する)」こと。子どもたちは、江戸東京野菜の種を通して命がつながっていることを知り、野菜の栽培をすることで自分たちの住んでいる地域の歴史を学んでいます。
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 続いて、NPO江戸東京野菜コンシェルジュ協会理事で野菜ソムリエの上原恭子氏より「食材としての江戸東京野菜」をテーマに、レシピの紹介と試食会が行われました。
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 今回ご紹介するのは旬の絹さやの「川口エンドウ」です。川口エンドウの生ハム巻き、川口エンドウポテトサラダ2016ver.、川口エンドウとしらたきの明太子煮と、今回特別に登場した「鮎タデ」を使った鮎タデジェノベーゼのレンコンサラダの計4品のメニューを試食しました。
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 参加者の方からは「いまのエンドウとぜんぜん違いますね」「自然な甘みがあります」「どのメニューも川口エンドウの持ち味がいかされて美味しかったです」といった感想が寄せられました。
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 江戸東京野菜は「旬」のある野菜であることも特徴のひとつ。この季節ならこの野菜を食べたい!というように、四季折々に東京ならではの旬の味わいをどんどん楽しんでいただければ、との話がありました。
 (写真:今回は写真の三河島エダマメと、川口エンドウがお土産になりました)
 
 新宿御苑でもレストランゆりのき、カフェはなのきにて、江戸東京野菜や東京産食材を使用した地産地消メニューをご紹介しております。
 ご来園の際には、ぜひ東京ならではの旬の味わいをお楽しみください。

2016年5月28日 17:00

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